専門家コラム

【034】染料・色素の分野におけるイノベーション

瀧本 浩

 〜 モノつくりで再び勝ち組になるために 〜

最近、アベノミクスの成果が徐々に現れつつあるようですが、未だ十分とは言えないようです。主な要因は、少子高齢化による内需の落ち込み及び製造拠点の海外移転による国内設備投資の低迷にあると考えられます。
1970年頃から1990年頃にかけて、日本の製造業は、繊維産業、鉄鋼業、家電・自動車産業等において、モノの市場をアメリカの製造業から奪い高度成長を果たしましたが、最近では、中国(台湾)、韓国などのアジア諸国に奪われつつある上、アメリカでも、トランプ大統領が、製造業の復活を目指しています。このような状況下、日本がとるべき対応策として、システム化による付加価値の向上等も考えられていますが、成果を短時日のうちに挙げることは至難のことであり、先ずは、これまで日本が得意としてきたモノの更なる高機能化・特殊化を図るべきかと考えます。日本の製造業が、再び勝つためにどうすれば良いか、本記事が、読者の参考になれば幸いです。

2010年、筆者はたまたま、日本の染料メーカーが、繊維用染料からエレクトロニクス用色素に転換することにより、欧米メーカーに追いつき、追い越し、アジアメーカーの追随を抑え、産業として発展し続けていることを調査し報告する機会を得ました。(詳細については、国立科学博物館・産業技術史調査センタ-HPをご参照ください。)この転換について、つらつら考えるに、1912年にシュンペーターが提示したイノベーションの考えに良く適合することを実感しました。イノベ-ションについては、これまでにも、多くの識者が、多方面からコメントされていますが、それらとは少し異なった視点を見出すことができたと考えましたので、以下、詳細に説明します。

色素の眼に見える《色》が特別に意識されるようになったのは、ローマ時代、皇帝だけが身につけることを許されたという紫色と考えられます。エジプトではミイラを包む布が、茜や藍で染められていますが、これは色というより、防腐・防虫が目的であったとされます。はるか昔に、色素の機能として色以外の機能が既に認められていたことは驚異的な事であります。また、漢方薬の中には、多くの色素が含まれ、人間の健康に有用であることが認められています。とはいえ、色素の主たる機能は繊維を着色することにあり、天然繊維を染める天然染料が古来より多数利用されてきました。1856年、パーキンが、マラリアの特効薬であるキニーネを合成しようとして失敗を繰り返していた際、反応残渣の中からたまたま紫色の色素を発見し、これが絹を鮮麗な紫色に染める事を見出しました。これが合成染料の始まりであり、ICIの基となり、これをきっかけに、多くの合成染料が開発され、バイエル、バスフ、ヘキストなど著名な化学会社が設立されました。

日本の化学メーカー(三井化学、住友化学、三菱化学、日本化薬、保土谷化学等々)も、第一次世界大戦でドイツからの染料輸入が止まったのを契機に、国産化を目的として、あるいは、コークス製造時に副生するタールの有効利用を目的として設立されました。欧米の染料メーカーに遅れること50年であり、両者の技術的ギャップは著大であったため、天然繊維用合成染料の開発については非常に苦労しました。その後、1940年頃~1950年頃にかけて、アセテート、ナイロン、アクリル、ポリエステルなどの合成繊維が次々と開発され、各々の繊維に適した染料が必要とされ、欧米日のメ-カ-が開発にしのぎを削りました。日本メ-カ-は、1960年頃から1980年ころにかけ、欧米メーカーに追いつくことに成功し、1990年頃には追い越すことが出来ましたが、同時に、アジアメーカーの追い上げを受け、おりからの急激な円高騰もあって、今日では、ごく一部の国内生産を残すのみとなっています。

一方、1980年頃からパソコンの普及が始まり、周辺機器として、プリンターやディスプレイの分野で新しい市場が立ち上がり始めました。この新しい市場において、これまで繊維用(塗料、インク用も含める。以後同様)に開発されてきた色素及び研究知見・技術を活用することができました。色素が光(光子)を吸収すると、色素の電子は、安定な基底状態から不安定な励起状態になります。この励起電子を利用する製品が電子写真(基幹部材である有機感光体:OPC)であり、有機太陽電池であります。励起電子は熱を発して元の基底状態に戻りますが、この熱を利用する製品がCD-RやDVD-Rであります。また、熱でなく、蛍光や燐光を発することもあります。これを利用する製品が有機ELであります。一方、光が波であることを利用する製品が液晶TV(基幹部材である偏光膜)であります。これらは色素の着色以外の機能を利用する、シュンペーターの言うところの新しい商品の創出に当たります。繊維以外の物を着色する分野では、プリンター(インクジェット、昇華転写、感熱)やカラーフィルターが挙げられます。これらはシュンペーターの言うところの新しい市場の開拓に当たります。

繊維用に開発されてきた色素を利用した新しい商品の開発について、具体的に述べてみます。著名な色素構造の一つであるフタロシアニンは、1928年、ダンブリッジによって発見されました。鉄製反応容器を用いてフタルイミドを造っていましたが、容器の壁に付着した青色の不純物を追求して、中心金属が鉄のフタロシアニン化合物を取り出すことに成功しました。これをきっかけとして、殆どあらゆる金属が検討されましたが、色調や堅牢性の面から繊維用には銅が採用されました。この時、チタン、バナジルあるいは塩化アルミなども合成されていましたが、日の目を見ることはありませんでした。しかし、最近のOPCには、光電特性等の面からチタンなどが使われています。時代が移り、応用分野が変わると、評価項目が変わり、古い化合物が復活する典型的な例であります。繊維用の染料においては、蛍光を発することは好ましいことではありませんでした。光源(例えば屋外の太陽光と、屋内の蛍光灯等)によって色目が異なることは不都合であると評価されたためです。このため、繊維用としては没になっていた染料が、有機ELで復活する可能性が見出された例もあります。

次に繊維用に開発されてきた色素を利用した新しい市場の開拓について、具体的に述べます。感熱プリンター用色素としては、ラクトン化合物の他、安定化されたジアゾニウム塩とカップラーがマイクロカプセルに包まれた状態で用いられます。発色方法の原理自体は、繊維の染色で用いられているアゾイック染色ですが、マイクロカプセル化することにより、OA機器として製品化できたものであります。昇華転写型プリンターも、アイディアとしては分散染料を用いたポリエステル繊維の染色方法の中の特殊な方法を応用したものであります。インクジェットプリンター用色素としては、繊維用あるいは食品着色用の水溶性染料が利用されていましたが、安定した吐出のために著しく高純度化することが求められました。繊維用染料の場合、無機塩の含有量は数十%ですが、インクジェット用には、1/10以下にする必要がありました。工業的な方法が確立されていませんでしたが、果汁の濃縮にRO(逆浸透)が用いられているという情報をヒントに、検討を行い、水溶性染料の工業的レベルでの脱塩・精製に成功しました。インクジェットについては、OA機器としての成功の後、逆に繊維の染色に応用することが試みられている他、極超微細液滴の吐出により、カラーフィルターや有機ELの製造に応用が検討されています。

上記したように、繊維用染料から、特にエレクトロニクス分野用色素に転換することで、産業として発展を続けることが出来ています。今回は、筆者の専門である染料・色素の分野におけるイノベーションについて記しましたが、他の製造業においても利用できる要素・ヒントが多々あると考えています。
モノつくりで日本が再び勝ち組になるためにはイノベーションが必須であります。そのためには、日本人はイノベーションが不得意だという思い込みを否定することが先ず必要であります。デュポンのタナーは、創造性は特別な才能ではなくスキルだと言っています。電子写真の技術を確立したカールソンの開発経緯を見てもセレンディピティーと思われるような要素は見当たりません。イノベーションする力は、人数(異分野)x 問題意識の深さ x 各人の類推力(アナロジー)の積であると考えています。イノベーションは難しいものと決め付けず、先ずは自社の製品・技術や、研究開発段階のものを全く別の視点(応用面)から見直してみてはどうでしょうか。また開発の人材が不足しがちな中小、零細企業のために人材銀行の機能充実(公的負担によるOBの研究・技術開発の実務指導・担当など実務の出来る人材が重要)が望まれます。

2017年10月3日

著 者:瀧本 浩(たきもと ひろし)
出身企業:三菱化学
岐阜大学工学部非常勤講師
国立科学博物館・産業技術史調査センタ- 主任調査員
専門分野:色素、染料、生分解性材料

*コラムの内容は専門家個人の意見であり、IBLCとしての見解ではありません

関連記事

TOP